⑦特定不能の広汎性発達障がい(PDD)と診断されて
美羽子2歳10ヶ月
2005.7.7 七夕の日🎋
PDDと診断されました。
その日は、主人が仕事で、実家に泊まりました。
主人には、メールや電話で報告し、翌日、実家の方に迎えに来てくれました。
迎えにきてくれた夫と実家の駐車場で二人、大泣きしたことを覚えています。
未知の世界…
出口のない真っ暗なトンネルに入ってしまったような感覚でした。
障がいを持って生きていく事が全く分かりませんでした。
自分たちが経験してきたような事を美羽ちゃんは出来ないんだ…そして私たち親も…そう思うと辛くて辛くて、言葉にならない気持ちでした。
療育(OT.ST.保育)をうけながら、障がいのこと、脳の事、どうにか美羽子が健常児に近づく方法はないのか?と毎日毎日、思い、情報収集しました。
療育では、保育の手遊び歌が美羽子にはよくあっていました。
OTは、身体全体を動かしたり、細かい動きをしたり、嫌がることもなく通いました。
STは、マンツーマンで美羽子にあった方法で丁寧に楽しく行えていました。
ですが、これだけでよいのかな?と不安は全く拭えませんでした。
七夕祭りにて🎋
キティちゃんが好き♡
こんなことも😆
ドヤ顔でベビーカー 笑笑
つらいなかでも、楽しく♡
そして、療育について情報収集する中で、ABA療育にたどりつきました。
読んでいただきありがとうございます
#PDD(特定不能の広汎性発達障がい)
⑥育て方でなく生まれ持ってきたもの
幼児期、美羽子の成長が遅れていることが分かり、3歳児健診を待たず、保健所に電話相談しました。
保健婦さんの家庭訪問、それから、保健所にて発達検査など受けました。
そこで、臨床心理の先生か、どの科の先生なのか覚えていないのですが、
先生との面談後、
「美羽子ちゃんは、お父さんやお母さんの愛情を沢山うけて育ってきました。今の状態は、お父さんやお母さんの育て方が原因ではありません」
私は、この言葉を聞いて、
「自分のせいじゃなくてよかった」と、一瞬ホッとしました。
その後、さらに先生は、
「美羽子ちゃんが、持って生まれたものです。ずっと、持っていくことになります」
私は、ホッとしていた気持ちから、突き落とされるような急転直下した気持ちになりました。
「どうせなら、育て方のせいだと言われたかった。その方が治るということなのに…」と頭の中でグルグル思いました。
その後、保健所内でのことばを促す教室に参加することになり、アドバイスをいただきました。
少しでもことばがでるように、たとえばボールを転がすときに
「コロコロ〜」と言ったり。
何事も実況中継のように、しかも短いことばで、美羽ちゃんにことばのシャワーを浴びせるよう心がけ、普段の生活の言葉かけをしました。
美羽ちゃんの持って生まれたものって何だろうか?と思いながら、ことばの教室は、4回くらいで卒業だった思います。
診断前のプレ療育のような感じでした。
おでかけした際の
緒方町のチューリップ🌷祭り
ひいばあちゃん👵が、長男の乗ったベビーカーを押してます✨
ちゅ♡
やんちゃな美羽子2歳7ヶ月
指差し✨母の姉と
楽しい思い出🌷
私たちの心配はよそに
笑顔いっぱい
みんなに可愛がられたみわみわでした✨
読んでいただきありがとうございます!
#発達検査診断
⑤お姉ちゃんになりました。もしかして自閉症?
美羽子2歳4ヶ月の頃に、下の子が産まれました。
助産院退院後は、実家で過ごしました。
よしよし
お姉ちゃんらしい美羽ちゃん♡
「○○○(下の子の名前)ねんねしてる〜」など言えていました。
言葉を発することが少なかったから、
みんなびっくりでした。
自宅に戻りました。
ベビーベッドでいつの間にか一緒に😴
助産院で産まれた時から、弟のことが大好きな美羽ちゃんでした。
ただ、美羽子は弟に対して、ベビーベッドに寝ているのに転がしたり、まだすわっていない首を後ろにのけぞる行動がありました。
私は、かなりびっくりして、それはいけない事だと、美羽ちゃんを抱っこしてベッドからおろして注意したり、下の子を抱っこして守ったり。
これが、いけない事だとわかってもらえませんでした。
弟の命に関わるから、強く叱っても通じません。
美羽ちゃんの表情が、変わらないんです。
どうしたことやら…。
このやりとりが、モヤモヤ気になり、当時はまだスマホがなかったので、子供が寝静まった後、パソコンを開き、いろいろ検索してみました。
「ことばの遅れ」
と検索した時、美羽ちゃんの気になる症状と一致する項目があり、私は、空が落ちてくるような感覚になりました。
それは、「自閉症」でした。
仕事から帰宅した主人に、「美羽ちゃん、自閉症なんかな?」とたずねました。
主人は、「絶対違う、目も合うし、自閉症児のキャンプで自閉症の方と携わった事がある、美羽ちゃんは違うよ」
と否定されました。
否定されてほっとする様な、でも、ことばの遅れだけでない、親の指示が入らないような気もしてすっきりしませんでした。
美羽ちゃんの困った行動は、変わりませんでした。
私は、とりあえず行動しようと思って、子育てサークルに入ったり、子どもルームに行ったりしました。
通っていた子育てサークルには、脳性麻痺のお子さんもいたり、保育の先生もいる環境でした。
その保育の先生に、衝撃的な一言を言われました。
「この子、普通じゃないから、病院で見てもらった方がいい。紹介してあげるから」と。
私は、とてもショックでしたが、そんな事ないです!と全否定する状況でもありませんでした。
紹介された病院では、知的検査が行われ、
結果は、「この子は、まだ1歳にも満たしていません」と言われました。
美羽子、実年齢、2歳6ヶ月頃のことでした。
この時、障がい名など言われず。
私は、知的なおくれ、いわゆる知的障がいがあるという意味だと、当時は解釈出来ませんでした。
発達が、遅れてるんだと思ったのです。
原因は、私の育て方のせいなんだと、(そんなこと言われてないのですが)思い込んでしまったのです。
それでも美羽ちゃんは、可愛くて
すきすき♡
弟ラブ♡がとまらない。
お姉ちゃんに成長していきました。
読んでいただきありがとうございました。
#自閉症なの?
④言葉が少しでてきた時期
「バイバイ」など、ちょっとした挨拶言葉はでてきた美羽ちゃん1歳6ヶ月。
パパ、ママなど呼んでくれそうな気配は、ありませんでした。
なかなか寝ない事も、続いていました。
2歳になる前、初めて海へ。
父親が抱っこしていましたが、怖がって中まで入る事は出来ませんでした。
2歳の誕生日🎂
私の姉と私達夫婦で、お祝いをしました。
ハッピーバースデートゥーユーを歌って、
美羽子がろうそく2本消すと、
「もう1回!!」
美羽ちゃんが言ったのです😵
おうむ返しとかでなく、その場の雰囲気にバッチリ合っていて、私たちはとても驚きました。
とても嬉しかったです。
言葉が遅れているだけで、いつか話せるようになるんじゃないかと期待しました。
妊婦健診は、助産院でした。
美羽子を連れて行くことが出来ました。
とてもしあわせなひとときでした。
美羽ちゃんと一緒に、下の子の様子をエコーを通じてみたり、院内オリエンテーションをしてもらったり。
完全予約制なので、先生と私達だけで安心でした。
この時期は自閉症??なんて、思いつきもしませんでした。
引越した家には、半年ほど住み、また、
引越ししました。
理由は、産後、赤ちゃんと美羽子を育てるにあたり不安な住環境だったからです。
2階建ての家は、お風呂が2階にありました。
1階から2階をウロウロする美羽子と、何も出来ない赤ちゃん。目の離せない2人を同時に見ることは、不可能だと思いました。
特に主人の仕事柄、何時に自宅に帰ってくるのか分からなかったので、母1人で赤ちゃんと美羽子をお風呂に入れる事になります。
お風呂に入れる前、入れた後のシュミレーションをしてみると、危険すぎると感じたからです。
出産前3ヶ月、美羽子が2歳1ヶ月の頃に、現在の住居に引越ししました。
読んでいただきありがとうございます!
#発達不安
#成長過程
#自閉症診断前
③なんとなく違和感??の時期に突入
すくすくと成長していった美羽子
生後7ヶ月頃桜の時期です🌸
相変わらずなかなか寝ない、よく泣くのは続いていました。
1歳健診で「はい」に○が、つかない項目がでてきました。
出来たり、出来なかったりするので、「はい」「いいえ」の間に○をつけています。
美羽ちゃんの反応が、分かっているのか?いないのか?わかりませんでした。
分からなくて、無表情とかではなくて、ニコニコしているのです。
食事は、こちらが手伝ってあげるよりも、初めから自分で食べたい様子でした。
たとえば、よく口をあけて(あーん)という行動を嫌がり、食べさせて欲しいという行動は見られませんでした。
同世代の子供たちは、母親にかまって欲しくて、ママ友たちは大変そうにしてました。
「美羽ちゃんは、おとなしくてニコニコしてて手がかからんでいいね。女の子だからかなあ」と、ママ友からは、羨ましがられたりしていました。
一緒にこれみて!あれみて!という
アピールもなく、
こちらの声かけに対しては、ニコニコ笑顔でした。
父親が仕事から帰ってきたら、玄関までハイハイ超スピードでお迎えに行ったりしてました。
1歳を過ぎて、歩いたりできるようになりました。
ある時、父親が散歩に連れて行った際に、歩道のへりの同じ場所を何回もくるくると回っているのをみて不思議に思ったそうです。
今からふりかえり考えると、自閉症のこだわりの始まりだったのかと思います。
1歳6ヶ月健診。
引っかかりませんでした。
それでも、なんとなく違和感を感じて日々過ごすようになっていました。
特に心配なことは、言葉がでないことでした。
とーさん、かーさんとか(当時はお父さん、お母さんと呼ばせたかった)
パパとかママとか呼んでくれないんです。
呼んでくれそうな兆候がありませんでした。
次の健診は、3歳児健診です。
急に間隔があくので、不安でした。
しかも、主人の転勤で、引越しすることになっていました。
わたしは、不安を少しでも解消したくて、いつも遊びに行く子供ルームの(保健所併設施設)馴染みの保健婦さんに相談しました。
保健婦さんは、「どうしても心配だったら、3歳児健診を待たずに電話相談する事が出来ますよ」とアドバイスをくださいました。
そんな事出来るんだと思って、心強く、ありがたかったですね。
美羽ちゃんが1歳7ヶ月頃、引越し。
子供のために一軒家をかりました。
移動になって、実家に車で30分ほど近いところに住めるようになったことは、よかった事です。
私は(母)2人目を妊娠中でした。
読んでいただきありがとうございます♡
#自閉症診断前1歳
#笑顔
②乳児期 初節句で感じたこと🍑
新生児期(生後1ヶ月)を過ぎ、すくすくと成長していきました。
なぜか、足を舐めるのが大好き❤
首もすわってきました。
ブーン✈️
ハイハイがもうすぐできそう。
支えて、おすわり。
初♡男の子と手つなぎ
男の子の方は、緊張の面持ち。
みわみわは積極的???
今思うと、自閉症特有の人見知りのなさだったのかもしれません。
5ヶ月くらいから人見知りははじまるそうです。
出産前に母親教室でお友達になったママ。
↑ママ友の赤ちゃん👶
生後6ヶ月頃、初節句がありました。
親戚や仲人さん合わせて8名、遠方からお祝いに来てもらいました。
当時、お寿司が美味しい地域に住んでいたので、食事会はお寿司屋さんで行いました。
和室8畳程度のお部屋に私たち夫婦と美羽子を入れたら11名になります。
今のご時世でしたら、アウトですね!
この席で、子連れの外食ってこんなに大変なの?😭😭😭と、初めて感じた出来事がありました。
美羽ちゃんが、お寿司屋さんで全く泣き止まないんです。
オムツでもない、おっぱいでもない。
抱っこしてても、ずーーーーと泣いて泣いて泣きやむ様子がないんです。
私は、泣きやませる事ができない母として、ダメ印を押されてるような気持ちになりました。
それなのに、こんな状況でもおっぱいをあげてるのでお腹がすいてきます。
目の前には美味しそうなお寿司、出来立ての天ぷらなど次々と運ばれてきます。
私も少しくらいつまみたいのに、食べれる余地か全くありません。
ちょっとでもいいから、美羽ちゃんを抱っこして欲しい所、みんな耳栓でもしてるんじゃないか?っていうくらい顔色変えず、箸がすすみ、食事を堪能している様子でした。
わたしは一番端の隅っこの席にさせてもらっていたのですが、隣に主人はいなくて、なぜか遠くにいて、ヘルプを言いだせませんでした。
となりが、一番のお客様である仲人の奥様でした。奥様が、「美羽ちゃん、どうしたんでしょうね〜抱っこしましょうか」と声をかけてくれました。
とても嬉しかったのですが、まだ食事の途中でしたので、申し訳なく、お気持ちだけありがたくいただきました。
「誰かお願いだから、身内の誰かちょっとでもいいから抱っこして〜」と思いましたが、みんな赤ちゃんが泣くのは当たり前と思って気にしていないのか?
あまりにもお料理が美味しいのか?
わたしのことは、全く気にもとまらないようで、本当に悲しかったなぁと未だに忘れられません。
この初節句の食事会で、その時感じたことは、母親まかせにしないでほしい!!ということ。
わたしから助けを言えたらよかったけど、言える状況ではなかった。
そして、この時はまだわかっていなかったけれど、美羽ちゃんが泣き止まなかった理由は、自閉症特有の変化に対する不安や抵抗からくるものだったのではないかと考えられます。
慣れない場所や人が集まっていることが、美羽ちゃんにとっては不安で、泣く事で、その場を立ち去りたい意思表示で、早く安心できるおうちに帰りたかったのかなあと思いました。
それでも美羽ちゃんは可愛くて、親バカ夫婦の中で、みわみわ語が誕生しました。
(のりピー語みたいな😆)→古っ
可愛いみわ
もう寝たみわ
まだ寝ないみわ
などなど
とにかく語尾に「みわ」をつけて。
笑笑
可愛いみわ
読んでいただきありがとうございます♡
#よくなく赤ちゃん
#なかなか寝ない赤ちゃん
#笑顔もいっぱい赤ちゃん
#自閉症診断前