⑪幼稚園に入園
2006年、美羽子3歳の春、年少から幼稚園に入園しました。
幼稚園では小さいトイレなので、オマル持参しなくて大丈夫でした。
幼稚園入園後も、 ABA療育(大学に週1回、家庭で母が毎日)、病院の療育(OT.ST.保育を大体週1回)を続けていました。
母がもっとABA療育を頑張れたら、幼稚園に行く選択はなかったかもしれません。
当時は、毎日の生活が、きつくてしんどくて、保育園か幼稚園か入園させたかったのです。
未就園児の障がい療育施設に通園させる選択肢もあったと思うのですが、全く考えませんでした。
多分まだ、美羽子の障がいを受け入れきれていなかったのだと思います。
定型発達の子供たちの中にいれてみたい思いがありました。
毎日の生活リズムは、美羽ちゃんと下の子を連れて毎日公園に行ったり、お昼ご飯を作って食べさせて、合間にABA療育や家事をしながら、夕飯作って食べさせて、お風呂に入れて、夜はなかなか寝てくれなくて、毎日毎日いっぱいいっぱいになっていました。
美羽子が、下の子にしたらいけないこととわからずにしてしまう事、高いところが好きで出窓に座ったり。窓を開けたら落下するような場所でした。物もよく落とすようになり、窓を勝手に開けられないような対策をとりました。
本当に目が離せなくて、もうどうにかなりそうでした。
夫が仕事から帰るときにいつもメールで、「今日の夕飯何?」って聞いてくるのも、しんどくなりました。美味しい料理を作って、働く夫に感謝して、きちんと主婦をしたい思いもありましたが、出来なくなってきたからです。
今思うと、もし、今の時代ならば、あの頃の私に「家事は家電に頼ろうね!!」と言ってあげたいです。
そのくらいメンタルが、いっぱいいっぱいになっていました。
そこで、保育園に入れたくて、保健師さんに相談しました。
保健師さんは、「健常のお子さんだと、保育士さん1人に対して5人はみれます。美羽子ちゃんの場合だと、1人の保育士さんがつきっきりになります」と言われました。
そうなんだーーーと思って、ショックでした。
と同時に、そんな保育のプロの方でも手がかかる子なんだなあと。
私、頑張ってるやんと、ちょっと自分を大事にしてあげようという気持ちにもなれました。
そこで、私は働いていなかったので、それならば幼稚園に入園させたいと思い、幼稚園選びを行いました。
正直にいうと選べる立場ではありません。
障がいの子をお持ちの先輩ママに聞いたり、児童相談所に行き、「ここの幼稚園は断らない、どんな子でも受け入れてもらえる」という幼稚園にだけ見学に行きました。
2園でした。
どちらも先生方お優しくて、癒されました。
最終的には、園バスで、送迎をしてくれるところ。
子供たちが裸足で遊んでいたり、泥だらけになっている姿をみて、みわみわにも経験させてみたいなと思い、幼稚園を決めました。
園バスを待っているところ
園バックは、私の母(おばあちゃん)の手作り♡
この頃から、
ハイチーズは、
ほっぺに指さしスタイルポーズ。
読んでいただきありがとうございます。
#自閉症
#知的障がい
#発達障がい
#幼稚園
⑩トイレトレーニング、どこに行くにもオマル持参で
もうすぐ3歳になる夏🍉
トイレトレーニングをして、オマルでOK✨
になりました。
ABA療育のマニュアルを見ながら、親子で丸一日頑張りました!
美羽子がおしっこに行きたくなる前にオマルに座らせて、座ったら褒める✨
でたら褒める✨
とにかくこの繰り返しです!
オマルにすぐに座れるように、リビングで行いました。
出来てきたら、オマルをトイレに移動させて。
トイレに置いたオマルでできたら褒める✨
出来てきたら、トイレに幼児用の補助便座を置いてできるようにしていきました。
オマルで出来たら、オムツは卒業です。
逆にオムツを嫌がるようになりました。
なので、どこに行くにもオマル持参でした。
下の子のベビーカー👶の後ろに、大きな袋をひっかけて、その中にオマルを入れておでかけしました。
おでかけの際は、車椅子用の広いトイレがある場所を選んでいました。
地元のショッピングモールに持って行っていたことを、ついこの間の事のように思い出します。
車椅子用トイレ♿️ほんとにお世話になりました。
今思うと、どこに行くにもオマルを持って歩いていたのは、客観的にはマジで!?という感じでしょうけど、その頃は必死でした。
つみきの会の講習会帰り
福岡のコスモス畑にて
読んでいただきありがとうございます!
#自閉症
#ABA療育
#トイレトレーニング
⑨3歳、単語数が増えました!
ABA療育で、物の名前を覚えることを教えていきました。
美羽子に椅子に座らせて、絵カードを見せて、
例えば、母「コップ」美羽子「コップ」
と言えるように、まずは、「コ」から。
スモールステップです。
できたら、ものすごく褒める!!
単語は、絵のみでなく、自宅にある実際に使っている物の写真を撮り、それをカードにして教えていきました。
褒めることに対して、美羽子が喜べてないときは、小さなお菓子をベビーチョコなどよくあげていました。
セッション中は、無表情で行います。
出来たら思いっきり笑顔で褒める!!
無表情というのが結構難しく、私は得意ではありませんでしたが、専門の先生に指導していただいたり、つみきの会の講習会で教わりながら行っていきました。
3歳になり、七五三のお祝いに、写真館で美容師の母の妹にセットしてもらい、記念撮影です。
かなりヤンチャだったので、妹にセットしてもらい助かりました😆
みわみわもよく頑張りました✨
いい笑顔😊
七五三当日
お詣りした後に、着物姿を見てもらいに。
前撮りしてよかったなあと思います😆
大好き♡仲良しひいばあちゃんと
今ごろ、きっと二人仲良くしてるかなぁと思います✨(ひいばあちゃんは、6年前、みわみわが小6の時に永眠しました)
3歳時健診の母子手帳
単語数伸びてます✨
下の子は、生後6か月頃から美羽子の療育に一緒に連れ回しました。
赤ちゃんなのに、のんびりゆっくりしてあげられなくて、ごめんねという気持ちでした。
それでも一緒にいるだけでどんどん成長していく下の子をみてとても嬉しく、安心しました。と同時に、美羽子の持って生まれたというか、元々持っていないものがよくわかってきました。
脳の機能が違うんだなぁと痛感しました。
そうやって少しずつ美羽子のことを受けとめて理解できるようになってきました。
読んでいただきありがとうございます。
#発達障がい
#知的障がい
⑧ABA療育との出会い
私たちは美羽子が、なんとか健常児に近づける方法はないのか?と模索していました。
まだ3歳にもなっていない美羽子の将来が、特に私たち親が亡くなった後、心配でたまらなかったのです。
将来、少しでも困らないようにしてあげたい!少しでもいいからコミュニケーションがとれるようになってほしい!と願いました。
そして、これだ!!とパソコンで出会ったのが、 ABA療育でした。
自閉症の療育方法の一つです。
日本語では、応用行動分析で、行動療法と呼ばれています。
アメリカ🇺🇸ロサンゼルスで、ロバース博士が、ABA療育で、19人の自閉症児を治療し、そのうち9人が(47%)知的に正常になり普通学級に通えるようになった👏
と一筋の光が見えた記事でした✨
さらに、
「わが子よ、声を聞かせて ー自閉症と闘った母と子 」キャサリン モーリス(著)(NHK出版)という本を読みました。
そして、つみきの会に入会しました。
NPO法人つみきの会とは、自閉症の娘さんを持つお父さんである藤坂さんが、自らABAセラピーをはじめています。
詳細は、ホームページをご覧ください。
私たちが入会したのは、2005年でした。
今から16年ほど前になりますが、ABA療育のことを知り大興奮した私は、美羽子の療育の際、おせわになっている保育の先生にABAのことを聞いてみましたが、知りませんでした。
今は、ABA療育のblog投稿されている方もいらっしゃいますし、ABA療育を経験されている方の書籍もあり、広まっているのを感じています。
私たちが入会した時は、同県には会員さんがいなくて、隣県での定例会に参加していました。
年に2〜3回参加出来たと思います。
年齢や自閉症の程度も様々な子供たちでしたが、みなさん真剣で参加のたびに、わたしも頑張ろう!!とパッションをいただきました。
代表の藤坂さんのセラピーでは、子供たちが変わっていく様子を目の前でみせていただき、いつも目からウロコ状態でした。
藤坂さんには、美羽子を幼稚園の年少から入園ついても、相談させていただきました。
美羽子の状態をみて、幼稚園大丈夫でしょう🙆♂️とアドバイスいただき、特に幼稚園に入るまでトイレトレーニングと言葉の数を増やすABA療育を頑張りました。
ABA療育で隣県に行った帰り😊観光も💕
ABA療育を始めた頃の2歳夏🍉
もうすぐ3歳です😋
読んでいただきありがとうございます。
#発達障がい
#自閉症
#ABA療育
⑦特定不能の広汎性発達障がい(PDD)と診断されて
美羽子2歳10ヶ月
2005.7.7 七夕の日🎋
PDDと診断されました。
その日は、主人が仕事で、実家に泊まりました。
主人には、メールや電話で報告し、翌日、実家の方に迎えに来てくれました。
迎えにきてくれた夫と実家の駐車場で二人、大泣きしたことを覚えています。
未知の世界…
出口のない真っ暗なトンネルに入ってしまったような感覚でした。
障がいを持って生きていく事が全く分かりませんでした。
自分たちが経験してきたような事を美羽ちゃんは出来ないんだ…そして私たち親も…そう思うと辛くて辛くて、言葉にならない気持ちでした。
療育(OT.ST.保育)をうけながら、障がいのこと、脳の事、どうにか美羽子が健常児に近づく方法はないのか?と毎日毎日、思い、情報収集しました。
療育では、保育の手遊び歌が美羽子にはよくあっていました。
OTは、身体全体を動かしたり、細かい動きをしたり、嫌がることもなく通いました。
STは、マンツーマンで美羽子にあった方法で丁寧に楽しく行えていました。
ですが、これだけでよいのかな?と不安は全く拭えませんでした。
七夕祭りにて🎋
キティちゃんが好き♡
こんなことも😆
ドヤ顔でベビーカー 笑笑
つらいなかでも、楽しく♡
そして、療育について情報収集する中で、ABA療育にたどりつきました。
読んでいただきありがとうございます
#PDD(特定不能の広汎性発達障がい)
⑥育て方でなく生まれ持ってきたもの
幼児期、美羽子の成長が遅れていることが分かり、3歳児健診を待たず、保健所に電話相談しました。
保健婦さんの家庭訪問、それから、保健所にて発達検査など受けました。
そこで、臨床心理の先生か、どの科の先生なのか覚えていないのですが、
先生との面談後、
「美羽子ちゃんは、お父さんやお母さんの愛情を沢山うけて育ってきました。今の状態は、お父さんやお母さんの育て方が原因ではありません」
私は、この言葉を聞いて、
「自分のせいじゃなくてよかった」と、一瞬ホッとしました。
その後、さらに先生は、
「美羽子ちゃんが、持って生まれたものです。ずっと、持っていくことになります」
私は、ホッとしていた気持ちから、突き落とされるような急転直下した気持ちになりました。
「どうせなら、育て方のせいだと言われたかった。その方が治るということなのに…」と頭の中でグルグル思いました。
その後、保健所内でのことばを促す教室に参加することになり、アドバイスをいただきました。
少しでもことばがでるように、たとえばボールを転がすときに
「コロコロ〜」と言ったり。
何事も実況中継のように、しかも短いことばで、美羽ちゃんにことばのシャワーを浴びせるよう心がけ、普段の生活の言葉かけをしました。
美羽ちゃんの持って生まれたものって何だろうか?と思いながら、ことばの教室は、4回くらいで卒業だった思います。
診断前のプレ療育のような感じでした。
おでかけした際の
緒方町のチューリップ🌷祭り
ひいばあちゃん👵が、長男の乗ったベビーカーを押してます✨
ちゅ♡
やんちゃな美羽子2歳7ヶ月
指差し✨母の姉と
楽しい思い出🌷
私たちの心配はよそに
笑顔いっぱい
みんなに可愛がられたみわみわでした✨
読んでいただきありがとうございます!
#発達検査診断