みわみわに学んだ7つの習慣 第3の習慣 最優先事項を優先する

みわみわに学んだ7つの習慣。3、最優先事項を優先する
 
長女は本当にお風呂が好きでした。夕飯を食べて、youtubeを見ているのかなと思ったら、いつの間にか着替えて入っている事がよくありました。自分で体や頭を洗ったりはうまくできませんでしたが、シャンプーを頭にかけて、そのまま湯船に浸かったりするので、シャンプーの泡が湯船にてんこ盛りになっていることもありました。お風呂の中でバシャバシャさせながら入っているので、大丈夫かと見にいってみると。湯船の中で、もぐったり、跳び上がったりしているので、溺れないかどうか心配したこともありました。
 
去年の1月に放射線療法が終わって、少し右手が使えるようになりましたが、すぐに麻痺が進行してきました。お風呂に入る時は、親が支えながら、洗面所まで連れて行き、抱えながらお風呂に入っていましたが、次第に歩くのが難しくなりました。長女は抗てんかん薬の副作用で体重が急激に増えてしまったので、抱えるのが大変なのです。
 
それでも長女はお風呂が大好きだし、清潔を保つのは大事なので、ヘルパーさんに入浴介助を頼むようにしました。ヘルパーさんはいつも二人で来てくださり、車いすに載せてお風呂まではこび、それからお風呂の介助用椅子にすわらせます。重たい長女を椅子ごとお風呂場まで運んで、長女を洗ってくれました。上がると、全身を拭いてドライヤーで頭を乾かしてと、テキパキとしてくれます。その間ずっと長女に元気に声掛けをしてくださり、本当に長女は嬉しそうでした。
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しかし、それも次第に困難になってきたので、訪問入浴サービスを頼むことにしました。以前のブログでも紹介していますが、お風呂を家の中で組み立てて、入れてくれるサービスです。ベッドサイドからそのままスライドしてくれるので、長女は動くことなくお風呂に入れます。
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7つの習慣、第3の習慣は「最優先事項を優先する」です。この章は緊急性と重要性についての時間管理のマトリックスの説明で有名な章です。私たちの人生は、日々差し迫った問題や締め切りのある仕事、突発的なトラブルなど緊急で重要なことに、時間をとられています。しかし、そればかり行っていると燃え尽きたり、ストレスが溜まって怒りやすくなったりなどが起こります。ですので、そういったトラブルにうまく対応するには、準備や計画、危機に対する予防、十分な休養など、緊急でないけれども重要なことを優先することが人生にとって大事であることを説明しています。
 
私たちが、長女を自宅で看ることを決めたのは、放射線療法中の入院生活がとても長女には合わないし、家族も大変だと感じたからです。長女は知的障害のため、コミュニケーションをとる事が難しく、かつ多動で入院中も部屋から飛び出してしまうこともありました。このような状況では、長女だけで入院することは困難で、家族が付き添わないといけません。
 
一方、自宅で療養するには、たくさんする事があります。朝、自分たちがご飯を食べた後、長女にご飯を食べさせます。片付け、洗濯などをしているとすぐにお昼になります。お昼ご飯の後は、リハビリなどしているとあっという間に夕方になります。父である私も、夕飯の買い物を手伝ったり、休みの時は長女に付き添ったりしましたが、それでも妻の負担は大きかったです。
 
これらのことを全て行うには、自分たちの時間を使って行うか、人に頼んでやって頂くかしかありません。自分でやると、達成感はあるかもしれませんが、全部行う事ができずに時間が足りなくなったり、うまくできずにフラストレーションが溜まったりします。
 
このような時に、一番に考えなければならないことは、最優先事項を優先することです。私たちは、長女を自宅で見るにあたって、一番に考えたことは、長女が苦しんだり、痛い思いをしないようにと言うことでした。次に重要なことは、介護する私たちが、疲れないようにすることです。
 
お風呂の件に関しても、自分達で頑張って入れてあげようとすると重い長女をお風呂まで運ぶのは大変重労働です。車いすに載せるのはできますが、廊下と洗面所の間に段差があり、その段差を超えるのが大変ですし、さらに、洗面所とお風呂場の間にも段差があります。バリアフリーな家に引っ越しすることも考えて、いくつか物件もさがしましたが、なかなか都合のいい部屋が見つかりませんでした。
 
今回、お風呂に入れるのをヘルパーさんに頼んだことで、家族は長女をお風呂に入れるという重労働から解放されました。週4回、昼食後の1時間でしたが、長女はお風呂に入れてもらえて嬉しいし、妻も休憩することができます。
 
長女は、脳幹グリオーマと診断される前も、ヘルパーさんたちに大変にお世話になっていましたが、在宅での療養中も大変助けてもらいました。本当にありがとうございました。
#入浴介助
#ヘルパーさん

卒業式

今日は、美羽子の通っていた学校の卒業式でした。

 

高2の11月に脳幹グリオーマと診断され、余命は治療後10ヶ月から1年と宣告されていました。

宣告された時は、余命1年と、プラス2ヶ月頑張って高3の卒業式を迎えたい!と願いました。

ですが、その願いは、美羽子のそばにいて変わっていきました。

あっという間に動けなくなり、食べにくくなり、時折痛みで泣く姿を見るようになり、早く楽にしてあげたいと思うようになっていました。

高3はあまり学校に行けず、昨年11月5日に永眠しました。

 

今日の卒業式、私(母)は、出席できませんでした。

卒業式では、美羽子の席や卒業証書を準備くださっていることを聞いていたのですが、行けませんでした。

学校に行くと、小学部1年生から高等部2年生まで11年間の元気な美羽子ばかり思い出してしまいます。

いないことが受けとめられなくなるのです。

以前も書きましたが、グリーフケアでは、大切な人が亡くなって、受けとめられるまでの期間は、親は3年、配偶者は4年半、こどもの場合は、5年かかるそうです。

亡くなる背景や関係性によって一概にいえないそうですが。その間、受容までのプロセスが揺れるそうなのです。

https://miiha-miwachan.hatenablog.com/entry/2020/12/29/185926

 

今のわたしは、学校に行くと、お祝いの席の卒業式なのに、ずっと泣いてしまいそうです。

かといって、頑張って笑顔でいることも出来そうになかったので、欠席しました。

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卒業式では、お友達が美羽子の写真を持って入退場、美羽子の席に写真を置いてくれていました。

卒業式後、クラスのお友達ママ達が家に来てくれました。

お友達2人が帰ったあと、みんなと集合写真を撮り忘れていたことに、気がついてくれた小1からのお友達。

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夕方、校長先生をはじめ先生方がきてくださいました。卒業証書をいただきました。

祝電、花束などお世話になった皆様からのお祝い、アルバムメッセージなどいただきました。

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ありがとうございました。

12年間、お世話になりました。

ゆっくりアルバムを見て、夫婦で涙涙です。

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高1高2高3の集合写真が表になっているアルバム。

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表紙の裏の写真は、美羽子が亡くなる前日にクラスのみんなが会いに来てくれて、手を合わせてます。

みんなの想いが嬉しかった。

(白い手が美羽子)

 

わたし達家族をサポートしてくれた皆様、blogを読んでくださる皆様、心から深く感謝いたします。

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読んでいただきありがとうございました。

#脳幹グリオーマ

#自閉症

#卒業式

みわみわ に学んだ7つの習慣 第2の習慣 終わりを思い描くことから始める

みわみわ に学んだ7つの習慣、続きです。
2、終わりを思い描くことから始める

 


今日、3月5日は月命日です。

長女が亡くなって4か月になります

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引き続き、父がこの記事を書いてます。


また散歩の話になります。
長女のお気に入りは駅のショッピングセンターですが、こちらが品物を選んでいる最中に、いつの間にかいなくなったりします。行方不明になったこともあるので、しっかり手をつなぐようにしていますが、振り切って突然走り出したり、奇声を発したりとなかなか買い物どころではありません。そこで私か妻のどちらかが前もって夕飯の買い物を済ませておいて、夕方長女とまた行くようにしていました。

ある日、いつものように駅の中をウロウロ一緒に歩き回りながら「大変なのに毎週、毎週よく行くよな」と思ってました。ふと「自分がもうすぐ死ぬという時に何を思うだろうか」という考えが頭に浮かんできました。


「今、この子と過ごして大変に思っているかもしれないけれど、いつかはそれができなくなる時が来るんだ。それを懐かしいと思う時が来るんだ。」と思ったのです。
 
その時は、まさか自分よりも子供の方が先に死ぬとは思ってもいませんでした。
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7つの習慣」の第二の習慣は終わりを思い描くことから始める。です


この章は自分の葬式をイメージしてもらうことから始まっています。
自分が死んだときのことを思い描き、自分が死ぬときに、周りの人からどう見てほしかったのかを思うことで、自分の人生の目的はなにかを考えます。


私たちは、毎日忙しく暮らしていますが、その忙しさが人生の目的にかなったものであるかを考える必要がある、というのがこの第二の習慣の中心テーマです。


私は長女が自閉症と分かってから、私もなるべくも子供と関わっていきたいと思ってました。しかし、実際は、仕事が忙しくて、ほとんど妻に任せきりでした。私はほぼ毎日仕事に行っており、休みのはずの土日もお昼頃まで働いていました。


けれど、この駅での体験から、時間のある時はなるべく子供と一緒にいようと思いました。そして、一昨年の11月にやっと週に一度休みが取れる職場に異動になったのですが、その直後、みわみわが脳腫瘍と診断されたのです。


大学病院での放射線療法、通院、そして自宅療養となりました。妻は仕事を辞め、長女に付きっきりでしたが、私が休みの日は妻の代わりに、自分が子供に付き添うようにしました。

私はそれまでの仕事中心の生活から、子供中心の生活をしようと心がけました。

 

もしこの子が健常児だったら、脳幹グリオーマになっていなかったら、こんなに子供に関わることはなく、私はずっと仕事人間で終わっていたと思います。

#脳幹グリオーマ

#7つの習慣

みわみわ に学んだ7つの習慣 第1の習慣・「主体的である」

ティーブン・コヴィーさんの「7つの習慣」は、私がみわみわ といた時に、自分の態度や考え方に大きな影響を与えてくれた本です。また一緒に過ごすなかで、逆に長女 から教えられたこともたくさんあります。それらのことを、7つの習慣風に書いて見ます。
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1、主体性を持って生きる
長女は、広範性発達障害があり、自閉症、知的障害と多動症の特性を併せ持っています。
脳幹グリオーマのために麻痺が出現する前は、多動症のため、いつも家の中を歩き回ったり、跳んだりしていました。睡眠障害もあるので、多動行動が夜昼となく起こります。アパートの下の階の方から注意されたこともあります。
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なので、朝早い時間や夕方など時間のある時は、出来るだけ散歩に連れ出していました。
 
ある日、駅の構内を歩いていると、長女はいつもの様に奇声を発しながら跳びはじめました。
周りの人の中には、ジロジロ見たり、不思議そうに見ている人もいます。
突然、走り出そうとするので、私は静止したりしましたが、長女は周囲の事など気にせず、ぴょんぴょん跳んだり、ワーワー言ったり、していました。
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とても恥ずかしかったのですが、
その時、「この子は周りの人など全然気にしていない、それに比べて自分はいつも周囲の人のことを気にしている。」と不意に思いました。
「自分はいつもビクビクしながら生きているのに、この子は自由に生きている。」と長女に対してすごい尊敬の念が湧いたのです。
 
その時はなんとも言えない不思議な感じでした。
 
この子の行動のために、私や妻はいつも恥ずかしい思いをしていました。周りの人に申し訳ない気持ちになったり、いつも複雑な思いでいっぱいでした。
 
けれども、この子の行動は、障害が原因で起こっており、自分ができることをしているだけなのです。あとは周りの人間がどう感じるか、どう反応するかだけだと思います。みわみわは、みわみわ でしかないからです。
 
7つの習慣」の中の第1の習慣は、「主体的である」です。
その章には、「私たちは自分の身に起こったことで傷つくのではない。その出来事に対する自分の反応によって傷つくのである。」や、「人生で体験することにどう反応するかが最も大切なのである。」と言う文章があります。
 
自分は、みわみわ の行動もさることながら、その行動に対して、他人がどう思うかなどを気にしていました。自分にとっては、当然の反応だったのではありますが、その反応自身も選ぶ事ができるのです。
 
そうはいっても、やはりみわみわ と一緒にいると困った事や恥ずかしい事ががたくさん起こりました。けれども、もっと一緒にいる時間を作ろうと思いました。できるだけ、一緒に散歩に行くようにしました。
 
今はもう一緒に散歩に行くこともできないです。恥ずかしい思いをしたことなども、懐かしく感じます。
#発達障がい
#知的障がい

雛人形ありがとう!供養を込めて

娘が、昨年11月5日に脳幹グリオーマで永眠し、来月で4ヶ月経過します。

お雛様の季節ですね。

雛人形供養を込めて、セカンドライフに送りました。以前長男のランドセルを送った事があります。

ワクチン代などにも利用してもらえるようです。

詳細はこちらです。

https://www.ehaiki.jp/second/nagare.html

ご興味ある方はどうぞご覧ください。

 

18年前、実家の両親が美羽子のためにプレゼントしてくれた大切な雛人形

私は一緒に選べなかったので、リクエストとしては、「転勤が多いからコンパクトなものでお願いします」と伝えていました。

家に届き、お人形屋さんがテキパキと丁寧に飾りだした雛人形は、想像以上に大きくて、「これ、うちのですか?間違いではないですか?」と途中聞きたくなるくらいの大きさでした。

間違いはないようで、とても綺麗で嬉しい反面、人形収納木箱やダンボールなど大小合わせて6箱あり、収納スペースが…と思ってしまいました。

両親にお礼を兼ねて電話で大きさを確認したら、「同じ価格だったら、大きい方がよく見えて」という理由でした。

両親の気持ちもよく分かります。下の子の五月人形は一緒に選べて、コンパクトなものにしよう!と思っていたのですが、まあまあの大きさになってしまいました。

飾ってある状況と収納箱のイメージが購入する時は、もうすっかり念頭になく収納スペースが結構とられました。

これから購入する方には、収納箱のイメージも店員さんにお尋ねする事をおすすめしたいです。

そんな雛人形🎎

美羽子が、脳幹グリオーマになる前まで、多動だったころ、本当によく守ってくれていました。

いろいろな事件がありましたが、いつも無傷なみわみわなんです。

警察にも4〜5回お世話になりました。

家から1人でおでかけして、あっという間にいなくなるという事がありました。

「あっ外にいる!」と思って、美羽ちゃんのいた場所まで行ったらもういなくて、警察に捜してもらった事があります。

もしも万が一、誘拐されていた場合、犯人から電話がかかってきた時の電話の取りかた、セリフを教えてもらったり。盲導犬をだして捜してくれたり。

結局、すぐ近くの校区の体育館にいて、夜バレーボールの練習をしていた大人が、女の子の存在に気づき、警察に電話連絡をしてくれたそうです。

警察からは「お嬢さんらしい子がいます、どんな服を着ていたか、おぼえていますか?」

と尋ねられていました。

答えられましたが、虐待の有無もなんとなく調査されているのかな?と感じました。

 

一番ヒヤリとした事件は、家族中寝ている夜中に、美羽子1人でかけていた事でした。

中学生の頃でした。

夜中の0時から4時の間に出かけていたのです。主人が0時過ぎにねて、5時前には目が覚めていました。母は、6時前に起き美羽ちゃんがいないことに気がつきました。

そこから警察に電話しながら、家の周りを歩きながら捜しても見つからず。

車で、捜しながら警察署にむかいました。

途中警察とのやり取りで、美羽ちゃんの目撃情報をいただき、やっぱり、駅の方に行ったんだ!という事が分かりました。

その頃は、毎週末、朝夕時間がある時は夫と家から駅までよく歩いていました。

また、毎週日曜日11時から14時の間は、ヘルパーさんと行動援護で駅まで歩いて行っていました。

だから、道もおぼえているし、30分ほど時間はかかりますが、歩いて行けたんだと思います。

私たち夫婦が警察署につき、警察官に事情聴取を受けていたら、6時半頃になりました。

「もしかしたら、みわみわ家に帰ってるかも!」と思い、主人だけ、先に家に戻りました。

予感的中、マンション1階のコインランドリーの椅子に座って、外を眺めてるみわみわがいました。

公共バスの始発もない時間なので、歩いて帰ってきたのです。

他にも街から1人でバスに乗って、バスを乗り間違えて、最後まで乗っていたのでバスの運転手さんのお世話になった事もあります。

いろんな方に助けてもらいました。

多動で目が離せないのに、いつも無傷なみわみわでした。

夜中に1人ででていかないように、鍵だけでなく、番号付きの自転車の鍵なども使って番号解除しないと絶対に開けられないように対策をしました。

この辺は、認知症で徘徊のある方と共通することなのかなあと感じました。

自分で歩けることは嬉しいけど、逆に目が離せない…というところです。

 

あの頃は大変だったけど、もういないと思うとやっぱり寂しい…気持ちが急に込み上げてくる時があります。

昨日は夫が朝5時に目が覚めて、また寝ようかと思ったけど、リビングの電気がついていて、みわみわに起こされた気がして、そのまま起きてランニングへ。「みわみわのことを思い出して、走りながら涙がでてきた」と帰ってきた夫が、泣きながら話してくれました。

昼間、母1人で街までウォーキング。帰りはバスで帰りました。

夕方、仕事から帰った夫と2人で近所をウォーキング。

偶然お世話になっていたヘルパーさんにお会いでき、嬉しかったです。

昨日1日、美羽ちゃんが一緒だったような、みわみわルーティンだなあと感じました。

朝も昼も夕方も美羽ちゃんが元気な時にしていたことだなあと…

姿は見えないけど…

このブログを投稿しながら娘を想う事ができて、感謝です。

 

読んでいただきありがとうございます。

 

桃の花を飾ってみました。

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#脳幹グリオーマ

#発達障がい

#迷子

#ADHD

#雛人形供養

⑫幼稚園生活(年少編)

発達障害の子を持つ親として、幼稚園に入園させたものの「楽しく無事に幼稚園で過ごせるのかな?」と不安がありました。

娘のクラスの子供の人数は、15人でした。

担任の先生と、さらに補助の先生が付き大きなトラブルなく過ごせました。

幼稚園に入ってよかったこと、嬉しかったことは、

1、朝規則正しい生活がおくれたこと。

決まった時間に送迎バスが来るのでそれに合わせて朝の支度ができました。バスが好きな娘でしたので、そこはとてもよかったです。

2、ルーティーンが好き。

幼稚園で歌う食前のお祈りの歌をおうちでも歌ってくれる娘でした。

"めぐみの神さま、今いただく食べ物を 主イエスの名よって 感謝します“

幼稚園であった出来事など、娘と言葉のコミュニケーションはとれず、先生からの連絡ノートが頼りです。

そんな中でしたので、食前に歌う姿を家で見れることは、「幼稚園楽しいよ」という娘からのメッセージのようで、本当にとても可愛くて(親バカ)嬉しくてたまりませんでした。

3、理解あるママ友との交流。

娘のクラスは、障がい児は、ほかにいませんでした。

障がいについて、他の保護者に伝えるべきかどうか?悩みましたが、最初の保育参観の後、

伝える事にしました。

担任の先生から促されたわけではなく、私が決めました。

先生は、娘の問題行動に対して、子どもたちにわかるようにその都度理由を伝えてくれていました。なので、言わなくてもよいかと思った時期もあるのですが、幼稚園早帰りの日、幼稚園の外で親子で集まり遊ぶ事もあったため、伝える事にしました。

どんなふうに話したら、理解してもらえるか?あまり重たく考えず、伝えてもフラットな関係でいてもらえるように、話そうとしたのですが、泣きながら話してしまいました。

結果伝えたことはよかったです。

年少から入園するのに不安なのは、障がいを持つ親だけではなく、第一子だったり、なんらかの不安があるママもいる事が、分かりました。

 

保育参観で、ピアノのリズムに合わせて自由表現のダンスのような、フロアいっぱい駆けめぐり表現する行事を見に行きました。

決められた振り付けなどないので、間違いはありません。

ピアノのリズムのイメージに合わせて踊る。

これが、娘にとってはイメージが難しいようで、目立ってないか心配になりました。

隣にいたママ友に、「うちの子目立つよね〜」と話したら、

ママ友「えっ?自分の子ばっかり観てたから、わからなかったよ」と言ってました。

なるほど〜確かに、私も逆の立場だったら、そうかもしれないと、気持ちが軽くなりました。

通っていた幼稚園は、カメラやビデオ禁止の幼稚園でした。

理由は、「カメラやビデオを通して子どもを観ると、どうしてもうまく撮ろうとする方に意識が向いて、子どもの本来の姿が観れなくなる。」と説明を受けました。

一瞬一瞬を大事に、子どもの気が伝わってくるくらい集中して観ることが出来ました。

 

 

4、障がいを持つ親同士でも励ましあえる。

障がいは同じじゃなくても、障がいを持つ親との交流会を持ってくれる幼稚園でした。

みんな我が子のように、成長を一緒に喜んだり、悩んだり出来たこともよかったです。

 

5、幼稚園の運動会は楽しい!

幼稚園は、小規模なので運動会の様子が間近で見ることが出来、順番もすぐ来ます。

とくに親子での参加は、小さいからこそ出来る競技で、この時期だけのお楽しみだなあと思いながら観ていました。

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読んでいただきありがとうございます。

#発達障がい

#幼稚園不安

#障がい児

#障がいを伝える

 

小児慢性特定疾病医療受給者証 返納

美羽子は、2020年に3月末に小児慢性特定疾病医療受給者証が交付されました。

私たち夫婦は、この制度があることを知りませんでした。

情報源は、脳幹グリオーマのお子さんの闘病ブログからでした。

そのお子さんのブログを見つけた時は、自宅療養中の様子で、「小児慢性特定疾患医療受給者証があるから、自宅での訪問医、訪問看護、訪問リハビリを診療費を考えずに利用できて助かる」という内容でした。

 

美羽子は、2019年11月に脳幹グリオーマと診断され入院、放射線治療を25回して退院。

2020年12月末に退院後、放射線治療を5回通院しました。入院治療費は、知的障がいを伴う自閉症で、1人では入院出来ず、個室だった事もあり高額でした。

 

退院後、外来診察の際に、小児慢性特定疾病医療受給者証のことをドクターに確認したら、外来コーディネーターさんに通してもらいました。

外来コーディネーターさんが、「入院中になぜ説明されなかったのか?」確認してくださいました。

返答は、小児慢性特定疾患に指定されている疾患名に脳幹グリオーマが記載されていないからでした。

そこで、同じ脳幹グリオーマで申請がおりている方の存在を、ブログで知った事を伝えて、申請をお願いしました。

疾患名を、中枢神経系の腫瘍で、主治医が手続きを検討します。というよい方向になりました。

そして、外来コーディネーターさんのおかげで、この制度の審査会に申請することができ、交付にいたりました。

支払った入院治療費は、個室代と食事代以外は、ほぼ返金されました。

そして、自宅療養となってからも、訪問医療、訪問看護、訪問リハビリ、お薬代もこの制度を利用して、助成してもらう事ができ、本当に助かりました。

 

今日は、お世話になった小児慢性特定疾病医療受給者証を返納に保健所に行きました。

申請する時と同じ窓口で、手続きの書類の返納理由に○をつける欄があって、とても悲しくなりました。

 

この受給者証を知ったのは、ブログのおかげでした。

大切な情報を教えてもらえて感謝です。

 

最近はみわみわの幼い頃からの事を投稿しています。

障がいが同じでなくても、どこか共感してもらえたり…。

また、どなたかのお役に立てれば嬉しいなあと思いながら、投稿しています。

 

クスッと笑えるような事もたくさんありました。

 

 

 

2019.11.20 入院中

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付き添いました

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入院期間中の外泊自宅にて

半袖みわみわ♡12月です!

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読んでいただきありがとうございます。

#小児慢性特定疾病医療受給者証

#自閉症

#脳幹グリオーマ